ページの先頭へ戻る

国際山岳ガイド 近藤謙司│FOCUS vol.4 前編

2016/08/10

エベレスト登頂6回。その仕事は一般登山者をヒマラヤの頂に登らせること。
これまで14年間で70人近くの8000m峰登頂をサポートしてきた国際山岳ガイドにヒマラヤ公募登山隊を続ける理由とその意味を語ってもらった。


 近藤謙司は国際山岳ガイドであり、同時に8000m峰を舞台とする数少ない日本人高所登山ガイドである。年間200日以上を海外の山で活動し、ヒマラヤには毎年1、2回。それを10年以上にわたって続けてきた。

 この5月には5人の顧客とともに自身6度目のエベレスト登頂を果たしたが、それらを含めたすべての登頂は、ガイドとして顧客を導いてのものだった。そして近藤のガイディングによって世界最高峰の頂に立った人はこれまでに男女合わせて17人にのぼる。さらに、マナスルやチョー・オユー、ローツェ、ガッシャブルムIIといったほかの8000m峰遠征を合わせると、これまでに70人近くの日本人登山者をヒマラヤの頂に導いてきたことになる。

 近藤は登山家としてチョー・オユーの無酸素登頂や、現在も破られていない冬季チョモランマ(エベレストのチベット名)北壁最高地点到達などの実績を持つ。また若いころから国際山岳ガイドとしてヨーロッパアルプスなどで豊富な経験を積んできた。その後、結婚を機にアルパインクライミングの第一線から退いたものの、海外登山を専門とする旅行会社に勤務しながら山岳ガイドを続け、1998年に独立して自身の会社アドベンチャーガイズを設立。日本で初めてのヒマラヤ公募登山隊としてチョー・オユーに遠征したのがその4年後だった。

2016年5月18日、近藤隊長以下、伊藤伴さん、西田幸樹さん、日比野純雄さん、なすびさんの4名が登頂成功。

2016年5月18日、近藤隊長以下、伊藤伴さん、西田幸樹さん、日比野純雄さん、なすびさんの4名が登頂成功。

8000m峰に登れますか?
その質問が始まりだった


─高所登山ガイドを始めたきっかけを教えてください。
「最初は6000m峰登山だったんです。南米とかネパールで何度か6000m峰のライトエクスペディションを行なっていたんです。最初はそれで満足だったんですよ。でも、6000m峰を登ったお客さんの中には、『次はアコンカグア(6962m)はどうでしょう?』という人も出てきます。そうやっていくうちに、ステップアップしたいお客さんの要望にお応えする山がなくなってきたんですよね。そんな時に6000m峰を登ってきたお客さんのグループから『8000mはどうなんでしょう。私たちでも登れますか?』というご意見が寄せられた、というのが始まりです」

─お客さんのリクエストがきっかけだったと。
「そうなんです。それじゃあ、1度だけやってみましょうかということになり、それが2002年のチョー・オユー(8201m)です。自身でも一度登っているし、なんとかできるかなと。その時は8人全員が登頂して、結果大成功だったんですね。ただ、これを定期的に続けていくつもりはなかったんです。皆さん、もうこれで満足でしょう、と」

─それがなぜ?
「チョー・オユーの頂上に立つと、すぐ目の前にエベレストがどど〜んと聳えているんです。それを全員が見てしまったわけなんですよね。そうなると、『エベレストはどうなの?』という話に当然なる。で、『エベレストをやっていただけるなら、私たちは行きますよ』、という要望を受けて始まったのが、2004年、最初のエベレスト遠征です」

2013年の初挑戦以来、大雪崩や震災などで不運が続いたなすびさんも、4度目の正直で登頂に成功。

2013年の初挑戦以来、大雪崩や震災などで不運が続いたなすびさんも、4度目の正直で登頂に成功。


─個人的にはどうだったんですか?国内の山やヨーロッパアルプスと違って、8000m峰は別物じゃないですか。その世界に踏み込んでいくことに対して、ご自身の意識みたいなものは?
「なにか漠然とした夢というか、憧れみたいなものがありましたね。僕はヒマラヤ登山ブームの残党ですし、ヒマラヤ登山というものに対してのこだわりもあった。その頃、外国にはいくつか公募登山隊があってヒマラヤで活動していましたが、日本でやってるところはどこにもなかった。だから、日本からヒマラヤ公募隊に参加できるのは、英語の達者な方だけだったんですね。もしも日本でやるなら、自分が独立して会社を作って、自分で責任を持ってやるしかないだろうなとは思っていました」

─なるほど。
「衝撃的だったのは、1996年のエベレスト大量遭難です。亡くなった難波靖子さんとはヨーロッパで何度かご一緒したこともありましたし、外国の公募隊チームでエベレストに行くと聞いて、へぇ〜と思っていたんです。  あの遭難があってからは、もしもあの時、自分がガイドだったらどうしただろうかと、いろんな場面を想定して自問自答を繰り返しました。もちろん、現実的には目の前の仕事に追われていたし、ヒマラヤ遠征は頭の中から完全に抜けてたんですが、それでも、なんとなく、漠然とした思いはあったんですね」

ローツェフェイス上部をサウスコルに向けて登攀する。

ローツェフェイス上部をサウスコルに向けて登攀する。


─仕事としてリスキー過ぎるとは思いませんでした?
「もちろん思いましたよ。いろいろなことを考えました。どちらかというと、僕は石橋を叩く派なんですが、叩いた上で渡らないこともけっこうあるもので……」

─そうは思えませんが(笑)。
「よく言われます(笑)。でも、意外に肝っ玉は小さいんですよ。できるかなと思えたのは、やはり、最初のチョー・オユーの成功でした。公募隊では実績のあるヒマラヤンエクスペリエンス隊も入っていたんですが、アタックする日はウチのチームが先頭に立ってルートを延ばして、そのシーズンの最初の登頂者になったんです。その時、紳士的だなって思ったのは、僕らが引いたロープをたどって登ってきたヒマラヤンエクスペリエンス隊は、僕らが記念写真を撮り終えるまで山頂手前で待っていてくれたんです。で、下山にかかってボロボロになってキャンプ2まで降りると、隊長のラッセル・ブライスがテントから出てきて、『ありがとう』と握手を求めてきたんですよ。世界一の公募隊隊長がわざわざ僕のところにです。そのとき、ああ、やってよかったんだなっと思えたんです」 (中編へ続く)

Text / Chikara Terakura
soto8号(双葉社スーパームック)より転載


近藤謙司
国際山岳ガイド。冬季チョモランマ北壁最高地点到達などの記録を持ち、2002年からヒマラヤ公募隊登山のガイドとして活躍。これまでにエベレスト登頂者17名を含む日本人70名近くを8000mの頂に導いてきた。(株)アドベンチャーガイズ代表。著書に『エベレスト、登れます』(産業編集センター)がある

Impression 近藤謙司のアイテム

ビショップスフォールズジャケット PM9238(旧品番)

必要最小限の良質なダウン量と軽量化を考えたシェル素材。軽量化とハーネスとの干渉を考えて、ハンドウォーマーポケットも排除しています。その代わりにチェストポケット&インナーポケットを大型にして手袋でのアクセスも可能に。フードは、ヘルメットはもちろん高所登山用酸素マスクにも対応する大きさのものとしました。エベレスト登頂の時にも使用させていただき、愛用しています。


2016/08/10


カスタマーサービス
最新情報
コロンビアについて
メールマガジン購読