ページの先頭へ戻る

ストリートシーンのトップを走る5人が「時代の変化」を熱く語るトークセッション

2019/11/18

  1980年代から90年代初頭、さまざまなヒップホップミュージックアーティストたちが、コロンビアのウェアを着用し、ミュージックビデオなどに登場したことで、アウトドアのみならずストリートシーンでも親和性が生まれ、コロンビアはストリートカルチャーを好む人たちにも愛されてきました。今回のイベントではBMX、ブレイクダンス、DJ、ヒューマンビートボックス、ダブルダッチのストリートカルチャー5ジャンルにおける日本最前線で活躍するプレイヤーたちを迎え、トークセッションを開催。情報収集にはSNSが不可欠になり、元号が令和に変わった今、「時代の変化」をテーマに語っていただきました。

田圓尚人さん(BMX)

STEEZさん(ブレイクダンス)

IKUさん(DJ)

TATSUYAさん(ヒューマンビートボックス)

KO-YAさん(ダブルダッチ)

YUIさん(MC)

――まずはみなさんがストリートシーンで今の活動をはじめたきっかけを教えてください。

田圓 僕、小六まで引きこもりだったんです。毎日家でゲームばかりしていました。人と話すのが嫌い、運動が大嫌い。中学生になったとき、唯一の仲良しの幼なじみがハマっているというBMXのビデオを見せてくれたんですが、それがめちゃくちゃかっこよくて。その中に出ていた田中光太郎というスーパースターにシビれちゃった。それで「俺、この人みたいになる!」と決めて、BMXをはじめたんです。田中光太郎さんが俺の人生を180度変えてくれたと言っても過言じゃないですね。

現在は神奈川県寒川町でパーク施設を共同経営し、そこで練習に励む田圓さん

STEEZ 僕がブレイキンをはじめたのは2005年くらい。1番最初はめちゃイケの岡村さんを見て興味を持って、大学に入ってダンスを始めました。はじめたら高校の先輩とかいろんな人と繋がって、それで面白くなっちゃった。

世界最高峰ブレイクダンス・バトル「Red Bull BC One」の日本代表にもなったSTEEZさん

IKU 高校までずっとサッカーをやっていて、Jリーガーになることしか考えていませんでした。でも、高1のときに大きな怪我をしてしまって、初めて人生の挫折というものを味わった。「サッカーをとったら何も残らないな」とかなり落ち込みましたね。進路を決めるとき、サッカー選手はもうダメだしどうしようかと考えたとき、音楽だけは人よりも多く聴いているなと思い、音楽関係の専門学校の体験入学に行ってみたんです。そのときにもらったパンフレットの中にイベントのチケットが1枚ついていました。内容がよくわからないまま、どうせ暇だからとそのイベントに行ってみたら、D Jバトルの世界で一番大きな大会DMCのジャパンファイナルだったんです。そのとき初めてきちんとD Jを見たのですが、バトルだったので、対戦相手がいて相手を翻弄させるそのスタイルが、自分がサッカーをやっていたときのポジションのトップ下と、なんか通じるところがあるなと感じたんです。それで俄然興味がわいて……というのがきっかけですね。

世界最高峰DJバトル大会「Redbull 3style WORLD FINAL」日本代表で出場(2010年)、現在ではアクションスポーツやカルチャー系の現場でもDJ活動を行うIKUさん

TATSUYA 僕は高校生くらいのときに登校拒否みたいになった。いじめとかではなくて、死ぬのが怖いというか。うーん……自分はなんのために生まれてきたんだろうと、存在価値を見つけられなくなったというかね。それで考えついた目標が、歴史に名前を残すこと。ただ、高校生だったので何で残すかはまだわかりませんでした。それで20歳のときにヒューマンビートボックスのパフォーマンスを生で見るときがあって、あれ? これまだやっている人がいないんじゃない、ワンチャンあるかもって。それがきっかけでビートボックスを真似するようになった。狭い人数から結果残して頂点目指して世に出ていこう! みたいな感じでスタートしました。

アーティストとしてさまざまなイベントに参加する傍ら、日本ヒューマンビートボックス協会の代表理事も務めるTATSUYAさん

KO-YA 日本体育大学に入学して、同じクラスの子がダブダッチのサークルに仮入部したから一緒にどうと誘われたのがきっかけ。でも、特別に興味があったわけでもないから入部を迷っていたんですが、新入生歓迎会に参加しちゃって。その宴会の席で、今も仲良くしている先輩に「俺、オマエみたいなヤツ、嫌いじゃないから」って言われたんです。当時、僕は先輩たちに生意気だとか言われていたから、その一言がとても嬉しくて。それで入部を決め、ダブルダッチの世界に入りました。

ダブルダッチの世界大会で今年、前人未到の三連覇を遂げた「REGSTYLE」のリーダー・KO-YAさん

現在もダブルダッチを続け、イベント出演や大会審査委員などでも活躍しているTATSUYAさんも来場

――はじめた当時のファッションはどんな感じでしたか?

IKU 当時、周りのみんなの優先順位の1位はレコードを買うことでした。俺もまさにそうだったし。服を買うときは、「この金額ならレコード何枚買えるかな」って計算しちゃったり。第一線でまわしている人たちは、ラップTを大きめに着ていることが多かったかな。俺たちは、ベースボールキャップをまっすぐかぶる、左に寄せる、右に寄せるとか、そういうので盛り上がるくらい(笑)。まあ全体的にダボダボ系でしたね。

田圓 ビッグサイズを着たいんだけど、自転車にTシャツやパンツが引っかかっちゃって危険だからあまり着られませんでした。テクニックのある人は、おっきめなのを着てかっこよかった。大会に行けば、ピチピチのスポーツタイツを履いた超スポーティーな格好の人もいたし、シャツにスラックスでハットをかぶっている人もいたりで、十人十色な感じだったかな。

TATSUYA ビートボックスも十人十色な感じですね。僕は、もともとはアパレルのデザイン学校に行っていたんです。さっき話しましたが、歴史に名前を残すことを模索していた時代で、自分のブランドをやろうかなとも思ったりしていたので、あんまりヒップホップミュージックのファッションには興味がありませんでした。どっちかというとモダンなハイストリートとかアバンギャルドとか、ちょっと変わったファッションが好きでした。それでクラブのライブなんかに行くと、出演者やお客さんはコテコテのラッパーみたいな格好の人がほとんど。それを「なんだあいつら」みたいな感じでかますというのが自分の中の楽しみでした(笑)。あえて服装を合わせないで行ったところはあるかな。AFRAさんのファッションがスタンダードだったなという印象がありますね。アウトドアやフェスでヒップホップする人たちのファッションというか……。

STEEZ ブレイキンは、70年代や80年代のファッションをそのままやっている人が多かったかな。ただ中にはあまりファッションには気にかけてない人も多くて、僕はそれを超ダサいと思っていました。生意気ですけどね。
ダンスはかっこいいのに見てくれは気にしていないなぁと。僕自身は、海外のB-BOYを参考にしていました。

KO-YA ダブルダッチのファッションってこう! っていうものはないんですね。もともとはニューヨークで女の子がはじめたカルチャーなんですけど、現地では男女ともわりとぴっちりしたものを着ていたりするんです。ダボダボのストリートファッションなのは日本独特かも。海外の人から「そんなダボダボな服着ていて、飛びにくくないの?」と言われたことがあるし(笑)。俺がはじめた頃の印象は、B-BOYカルチャーの服装を取り入れている人が多かったかな。汚い格好も多かった。雑にタオルを巻いたり。あと、下ダボダボで上はMサイズみたいな人もいましたね。

入場者の3人は、ダブルタッチのKO-YAさんの大学サークルの後輩。現在もそれぞれダブルダッチのチームに所属して活動しているそう。

――SNSやユーチューブがここまで浸透し、みなさんがはじめられた頃と環境がものすごく変わったと思いますが、そのあたりはどのように見ていますか?

STEEZ インスタがはじまったのは2010年くらいと聞いていますが、僕も2010年にはじめています。アメリカに行ったときに、友達がやっているのを見てすぐにはじめました。今のような写真をポストするというよりは、画像のフィルターをつけるアプリみたいな身内ノリの感覚でしたね。

田圓 僕はミクシーからはじめましたが、知らない人からメールがきて「かっこいいねー」とか。高校生くらいになってフェイスブック、インスタ、ツイッターと使うものが増えていきました。海外の知らない人から「今度世界大会があるからおいでよ」というDMがきて呼ばれたりして、SNSで自分の環境がどんどん変わっていった感じですね。

TATSUYA 僕らビートボックスは、音が大事だから、先輩のライブに行ってカセットレコーダーに録音して聴いていました。ユーチューブが流行ってからは、お手軽に世界中の情報が入ってくるもんね。

STEEZ 名前がちょっと知られるようになったくらいのときに、自分で映像を作ってユーチューブにアップしたら、海外の人と初めて繋がりましたね。ユーチューブの存在は大きい!

田圓 僕はインスタでめちゃくちゃいろんな人と繋がった。海外に仲間ができて、海外戦のときに、会場にそいつがいて、家に泊まらせてもらったりとか。僕は正直、B M Xの映像には興味がなくてあまり見ないんです。SNSはいい意味でも悪い意味でもみんながすぐに見られちゃうから、距離感が近くなる。それがいいとも思うけど、近すぎちゃって、見ているものがみんな同じなんですよ。そうなると技術もファッションもみんな同じになっちゃう。それが僕は面白いと思わないから、ここにいるような違うジャンルの人のSNSを見ていますね。

TATSUYA 僕は全部使い分けていますよ。同じ投稿をしても反応がまったく違うから。フェイスブックはどっちかというとビジネスとか行政とか大人なライン。インスタは第二のホームページとでもいうかな。インスタは新規の人はあまり入ってこなくて、自分のことを知っていてくれたり、興味を持ってくれている人たち。それぞれに合った用途があるんだよね。

IKU 前にインスタで、スクラッチのテクニックでどんくらい早い曲までメイクできるかということを仲間内でやっていたんだけど、それがどんどん広がったみたいで。たまたま世界大会に行くタイミングがあってそこに行ったら、「あれ見たよ」「俺のテクニック見てくんない?」とかすごく言われましたよ。

――今日はコロンビアのアイテムを各々のスタイルで着用してくださっていますね。コーディネートのポイントを教えてください。

この日は5人全員がコロンビアのアイテムを着用

田圓 コロンビアの厚手のネルシャツとTシャツを着ています。急に寒くなってきたので、単純に風邪を引かないとようにと厚手のネルシャツを選びました。

デシュートリバーヘビーウェイトフランネル

KO-YA この中で一番薄着ですけどね(笑)。

田圓 僕、服はかっこいいと思うものしか選ばない。自分がかっこいいと自信のもてる服しか着ないんです。同じ服でもサイズを変えただけで見え方がだいぶ変わります。ラフにしたいのでパンツは太めにしました。

STEEZ ダウンがコロンビアのものです。普段着はシンプルイズザベストを意識しています。ダウンとシャツとスニーカーで十分。逆にダンスするときには、人とちょっと違うものを何か取り入れるようにしています。普段と踊るときは使い分けるというか着方を変えるというのかな。普段はタイトにして、踊るときはオーバーサイズにするとか。変化で自分もファッションを楽しむようにしています。

アイスラインリッジジャケット

IKU コロンビアのジャケットを着てきて、暑いかなと思ったけど、意外と理にかなっている格好でした。小雨がパラついていたけど、防水だから濡れても大丈夫。あと、動きやすいところがいい! DJするときって袖が気になるんですけど、このジャケットの袖にはベロクロがついていて、まくってとめられるようになっているんですよ。

キールスパイアージャケット

TATSUYA 僕は今日はほぼ全身コロンビア ブラックレーベルのものです。黒が大好きなんですよ。ブラックレーベルのものって、ストリート感を保ちつつフォーマルなシーンにも合うようなきちんと感もあって、かなりのお気に入りです。

ジェームスビュートジャケット

KO-YA 僕は大好きな90年代風にしてきました。コロンビアのこのジャケット、絶対90年代っぽい雰囲気出せるなぁと。僕、中1からずっと腰パン。腰パンブームが去ったときも腰パンを貫いていて、そうしたらまたちょっと流行ってきたから嬉しいんですよね。

バガブー1986インターチェンジジャケット

――今のストリートシーンについて思うことや、後輩たちへのアドバイスなどをお願いします。

雨模様の天候の悪いなか、たくさんの人が集まり、盛り上がった

STEEZ 今のブレイキンの子たちが大変だなと思うのは、それこそさっきのSNSの話にも通じますが、情報量が多すぎるのに、それが全部簡単に入ってきちゃうこと。だからどうしても同じようなダンサーが多かったりする。自分というものをもつのが大変なんだろうなとつくづく思いますね。

KO-YA それはブレイキンだけじゃなくて、みんなそうだと思いますよ。似たり寄ったり問題、深刻ですよね。この情報社会の中で、ナイスな情報を掴んでいくコツみたいなものありますか?

STEEZ 今日のこういう場所じゃないですか! 直接、人と人が繋がれる場所。あと、どういう環境に身を置いているかということも重要な気がします。

IKU SNS的な話をすると、情報をとるためにちょっと工夫すると、ふるいにかけられていい情報だけをゲットできます。いい例があって、インスタで#がありますよね。あれでscratchで検索すると、うまいものから下手なものまでいっぱい出てくる。scratchをskratchと「c」を「k」に変えるとうまい人だけが出てくるんです。スクラッチの神様といわれているキューバートという人が、わざと「c」を「k」にしているんです。本当に知識のある人は、そうして検索していて、うまい人の動画だけをチェックしています。

田圓 最近よく思うのが、僕たちの業界だけかもしれないけど、憧れるという気持ちをもっていないように感じます。最初に話しましたが、僕は田中光太郎という人をスーパーヒーローだと思って、追っかけて追っかけて必死で真似して、そして気づいたらここまできていた。今は情報量が多すぎて、一人の人に強く憧れるというのがなくなってきているんじゃないかな。僕たちのカルチャーってオリジナルが一番じゃないですか。情報が多すぎるから小さいところのオリジナルを探してくるんですけど、結局世界を見たらやってる人がいて、それはオリジナルじゃないよ、となっちゃう。僕はもっと純粋に真似事でいいと思う。だから誰かに憧れるとか、全然違うジャンルの人でもいいから、そういう人にくっついてどんどん学んでほしいですね。

会場内には、5人が着用していたアイテムが展示された

会場は原宿にあるWAG GALLERY & PROJECT SPACEで行われた

トーク中は発言にツッコミが入ったり、来場者からの意見を聞いたりするシーンもあったりして、盛況に終わったトークセッション。終了後はフリータイムとなり、お酒を飲みながら、会場内のあちこちで人の輪ができていました。今の時代を生き抜くためにSNSが欠かせないことは確かですが、STEEZさんの「人と人が繋がれる場所が大事」という発言に、5人のプレイヤーはもちろん、来場者の方もいっせいにうなずいていたのが印象的でした。どんなにデジタル化が進んでも、最終的に重要なのは生身の人間同士の繋がり。プレイヤー同士、プレイヤーと来場者、来場者同士がリアルに繋がったと実感するイベントでした。

▪️コロンビア公式オンラインストア
▪️Instagram:@columbia.tokyo

2019/11/18