Mother

コロンビアの生みの親、ガート・ボイル

コロンビアの第二の創始者ともいえる、ガート・ボイル。
歴史的な名品の数々を生み出してコロンビアを世界有数のアウトドアウェアブランドに成長させ、
自らが広告塔となって製品をアピールし、2019年95歳で逝去するまで日々オフィスに通い、ブランドの精神的支柱であり続けた。
そんなスーパーマザーの生涯を彼女自身の言葉から振り返ってみたい。

苦境に立たされたとき
人間は早く深く学べる

コロンビアの創始者である父、ポール・ラムフロムが逝去した後、社長を継いだ夫のニールにも先立たれ、多額の借金を背負うという厳しい状況のなか、ガート・ボイルが選んだのは、会社を再建するという道だった。普通の主婦であった彼女だが、強い決意のもとに経営努力を重ね、ついにはコロンビアをアメリカ最大級のアウトドアメーカーに押し上げる。「何か壁にぶつかったり、苦境に立たされたときこそ、人間はいろいろなことをより早く、より深く学べると思うんです。私の場合がまさにそうでした。そうした苦境のなかでビジネスに関することを身に付け、実践してきたのです」と、かつてガートは語っているが、ものづくりにおいて彼女自身が人並み外れたアイデアウーマンであったことも、サクセスストーリーを語るうえで欠かせない事実であろう。コロンビアを象徴するアイテムであるフィッシングベストは、まさにその最たるものといえる。

「もう40年以上も昔のことです。マルチポケットフィッシングベストは、夫と彼の友人たちのために作ったんです。そう、ミシンを使って手作りで。こんなベストを作ってほしいという、ユーザーの要望を直接聞いてね(笑)。最初は10着くらい作ったと思います。試作品ですか? 作りませんでした。一度でみんなの希望通りのベストを完成させましたね」数々の名品を生み出してきたガートだが、特にお気に入りなのが、独自のインターチェンジシステムを初めて取り入れたバガブーパーカだという。

「バガブーパーカはコロンビアのビジネスを軌道にのせ、爆発的に成長させた商品のひとつですから。それに、息子のティム(現社長)が、彼の好きなカナダの山脈にちなんでネーミングしたという点もお気に入りのポイントよ」

コロンビアの創始者、ポール・ラムフロムの次女として生まれたガート・ボイル。10代の頃から家業をサポートしていたという。その表情からは、いまも変わらない芯の強さがにじみ出る。
夫のニールとの貴重な2ショット。1970年に急逝してから、ガートは彼との思い出を大切にしていた。

人生で一番の思い出は
アウトドアで作られる

会社が苦境に立たされたとき、ガートは細々と家業を続けるのではなく、
亡き夫ニールが志半ばにして遂げられなかった拡大戦略を引き継ぐことを選んだ。

大きな実績を積み重ねてきたガート・ボイル。 2019年95歳で逝去するまで、コロンビアの会長として、ほぼ毎日のように本社に出勤していた。当時、その理由を彼女にたずねると、「むしろ、50年も皆勤しているのに、それをストップさせる理由ってあるかしら?もちろん、家にとどまって古くからの友人とゆっくり過ごす手段もあるわ。でも、誰がそれをやりたいと思う!?」と。しかし、誰よりもコロンビアを愛しているがゆえ、ということは語らずとも明らかだろう。その想いの強さは、ガート自らが広告をはじめ、コロンビアの様々なグラフィックに登場していたことからも読み取れる。これは、自身が生み出したプロダクトの品質に対して絶対的な自信を持っているからこそできたこと。自らが広告に登場することについて、彼女はこう語っていた。「モデルなんて食事みたいなものです。おいしいものはすぐに思い出せなくても、まずいものは確実に思い出すでしょう(笑)」

これまで数々の優れたプロダクトを送り出してきたガートだが、そのモチベーションを支えてきたのは、やはり自然に対する愛情だった。

「アウトドアへ出れば、やることが沢山あるわ。それが小さな子供であっても、私でもね。人生で一番の思い出は、アウトドアで楽しいことをしていたときのことが多いんじゃないかしら。日本は世界の中でも、有数の美しい山や海をもつ国ね。だから、どんどん外に出て楽しんでください!」

そんなアウトドアの楽しさを多くの人々が存分に満喫できるように、ガート・ボイルの遺志を引き継いだコロンビアはプロダクトを作り続ける。

ガートは『ワーキング・ウーマン』誌が選ぶ“アメリカの女性経営者トップ50”や、『ビジネス・ウイーク』誌の1994年度ベストマネージャーのひとりに選ばれるなど、コロンビアの成長とともに、アメリカを代表するビジネスウーマンになった。

The Track Of Gert Boyle

カタログ・広告で振り返る、ガート・ボイルの軌跡

知名度のあるタレントや俳優を起用して、製品をアピールする企業が多いなか、
ガート・ボイルは、自らを広告塔としてコロンビアの魅力を訴えた。
自社製品の魅力を最も熟知している彼女自身が、顔を出して語る以上に
説得力のある広告手法はない。その説得力をさらに補強したのが、
「ガーティズム」と呼ばれる、彼女独自の力強く気の利いたキャッチコピーだった。
その一部をここでご紹介していこう。

1984
Anacortes Parka

「アナコルテパーカは大自然(マザーネイチャー)を目の当たりにする前に、ガート・ボイル(マザーボイル)を目の当たりにしないといけない」

1985
Workbook Cover

「あなたたちの成功のためにたくさん働いてきた。だから、忘れないように書いておきなさい」という迫力満点なメッセージが記されている。

1985
Palmer Parka

「業界で一番、多目的に活用できるスキーパーカを紹介します(後ろにいる鬼の角をもった母のことも)」というユーモアあふれるコピー。

1986
Workbook Cover

「86年に一番パーカを売る人間になりたかったら私の腕を持ち上げてみな」とこちらを見据えるマザー。ページをめくると右隣のヴィジュアルが。

1986
Workbook Cover

「このラジアルスリーブはラジアルタイヤがタイヤ業界にもたらしたのと同じ成功をパーカ業界にもたらすでしょう」と自信に満ちた広告。

1989
Spring Creek Vest

「もっと安いベストは売っているけど、このベストほど早くは分離しない」と自社のベストの優位性をダイレクトに伝えている。

1990
Teal Parka

「6ヶ月でなんと15オンスも落としました。簡単じゃなかったけど」とダイエットしたかと思わせるようなフレーズで、製品の軽量化をアピール。

1991
Bugaboo Parka

「ALL THE RAGE」は、“大流行”という意味だが、“RAGE”だけだと“激怒”という意味になる。ガートの怒りに満ちた表情がヴィジュアルに。

1992
Workbook Cover

「どうすれば偽物が真実を伝えられるのだろう」というフレーズとともに、模倣品と思われるものを着た偽ガートと一緒にカタログに登場。

1992
Helvetia Sweater

「あたたかくてふわふわ」というダイレクトな表現で、フリース素材のウェアをアピール。製品よりも大きく扱われたガートの写真が説得力を増す。

1993
Gizzmo Parka

「マザーボイルの過激な企画」と題して、奇抜なヘアスタイルのガートが新たなウェアを訴求。会長自ら、全力で身体を張っていたのだ。

1998
Boulder Ridge Parka

“FRIGID”には、極寒という意味と冷淡という意味がある。冷淡な表情のガートが極寒の地にいるが、“決して寒くはない”と機能性を主張する。

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